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2017年9月

2017.09.29    悪魔的な魅力

ライター
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スポーツの楽しさをお伝えするATHLEADブログ。

 

 

 

 

 

こんにちは、シェフの阿川です。

 

 

 

黒澤明監督の「影武者」の中での織田信長を観ていて、蘭丸の振舞いは完全に信長への愛が感じられました。
それに対する信長の信頼も。
もちろん主従関係でのです。

 

 

 

しかし、これまで日本人の信長人気を不思議に思って来ましたが、この作品を観た後で感じたのは、日本の作家がどうやら歴史上の偉大なる悪人を書くのが不得手なのではないかという思いです。

 

 

 

歴史上に偉大な悪人が殆どいなかった事から書くのに慣れていないのか、又は日本人自体が見事な悪行と肌が合わない気質を持っている為かもしれません。

 

 

 

ジャーナリズムと無縁でいた国ですから、やはり主観的に美化された日本人好みの姿に書かれているのでしょう。

 

 

 

ルネサンス時代のイタリアでも悪魔の様な偉人が存在していました。
現代でも忌み嫌われている、チェーザレ・ボルジアです。

 

 

 

ローマ法王の息子としてその立場を利用し、権謀術数を駆使し裏切り、暗殺を繰り返して領土を拡げようとし、若く挫折した人物です。

 

 

 

ただ、彼の目的はフランス、ドイツ、スペインといった中央集権が進んだ大国の干渉からイタリア半島を解放する、という事でした。
つまり、イタリア半島を統一国家にしようとしたのです。

 

 

 

量より質の都市国家の時代から大衆化の質より量という時代の変化に対応しないと、イタリア半島が大国の餌食になると分かっていたのでしょう。

 

 

 

国の統一という事業、権謀術数の隠惨さ、弟殺し、女性に対する冷徹さまでも信長に似たことをしてます。

 

 

 

マキャベリに、かの有名な「君主論」を書くきっかけを与えたのがチェーザレ・ボルジアでした。

 

 

 

信長は強い毒を持った悪魔的な人物であることは間違いないです。
現代の経営者のお手本でもあるかの様に書かれたものは、子供用の伝記と同じなので読む気はしないです。

 

 

 

彼の用兵の巧みさは誰もが認めるところですが、使われる側からすればいつ自分が犠牲にされるか分からないのだから、ボスとしては理想的とは言い難いはずです。

 

 

 

温情主義など一片も無いやり方に、長い間、終身雇用に慣れた親しんだ世代が信長を好きな理由は単なる憧れというより、コンプレックスの裏返しかと。

 

 

 

つまり、表には出せないが誰もが持ってる内なる狂気をこれでもか、と惜しげも無くさらして前へと突き進む姿に爽快感おぼえるのではないかと。

 

 

 

歴史では、この二人の偉大なる悪人は事業半ばで挫折してしまいます。

 

 

 

共に最初に統一国家を建設しようとした人物ですが、弱味を一つさらしただけで凋落してしまいました。

 

 

 

勝つか負けるかの弱肉強食の時代でも、調和を目指しながらの政治を行わないと事業を長く続けることが出来ないのかと考えさせられます。

 

 

 

秋の夜長に、仕事と関係ない事に想いを馳せるこの頃です。