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BLOG

2017年5月9日

2017.05.09    武士と騎士

ライター
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スポーツの楽しさをお伝えするATHLEADブログ。

 

 

 

 

 

 

 

こんにちは、シェフの阿川です。

 

 

 

 

 

日本の城を眺めていた時に、ある思いが生まれました。
城下町に対して城中町というのはないのか?

 

 

 

 

 

江戸時代以降なのか、それよりも遥か以前からなのか分からないですが、武士の忠義というのは主君に対してのものと認識しています。

 

 

 

 

 

有名な忠臣蔵がまさにその為に起こった事件ですね。
事件と言うと反感を買うかもしれませんが…。

 

 

 

 

 

歴史に”もし”は無いですが敢えて、”もし”、幕閣が浅野内匠頭の刃傷を乱心による事故と断定すれば(真実がどうであれ)、浅野家中の人達は討入りをやらずに済んだのではないかと思ってしまいます。

 

 

 

 

 

乱心にあらずと公に認められてしまった為にお家も断絶、吉良に対する遺恨が残り、主の無念を晴らす義務が生じてしまったのです。

 

 

 

 

 

もし、事実乱心であり、家臣達もその事を知っていたら悲惨です。
遺恨など全く無い相手をそうと知りながら、仇として討たなければならない立場にされてしまった事になるので…。

 

 

 

 

 

周囲や世間も面白がり、よっぽど酷い事をされたのだろうと思い、浅野浪士の仇討ちを期待し、要求していたようです。

 

 

 

 

 

ここで話題にしたかったのは、武士の忠誠心は主君に向ってのものであって町の住人、農民に対しては向けられていなかったということです。
それが城下町に表れています。

 

 

 

 

 

城を囲んで堀は作られているけれども、町を囲うことはないのです。
(秀吉の大阪城だけは街全体を掘で囲いましたが、彼の出自によるのかと。)

 

 

 

 

 

対して、ヨーロッパの町は、支配者の住む城を中心に町が出来ているという点では日本と同じですが、防衛目的の城壁や堀は町全体を囲んでいます。

 

 

 

 

 

籠城戦となると、町全体が籠城となり、近隣の農民達まで家畜を引き連れて城壁の内の町に避難して来ます。

 

 

 

 

 

領主をはじめとする支配階級は、これら全ての人達の身の安全を守る義務があるとされていたからです。

 

 

 

 

 

日本も、建前では同じ考えではあったのでしょうが、映画「七人の侍」を観ると、黒澤明監督は、そうではない農民の現実を描いています。(フィクションですが。)

 

 

 

 

 

山賊から身を守るのに七人の侍を雇っています。
代官所の武士は見向きもしていないですね。
食事を提供したり厚遇しますが、あくまでも傭った武士です。
しかも立場は主のない浪人。
なので、危険が去れば浪人は立ち去るしかないのです。

 

 

 

 

 

ヨーロッパの支配階級は、被支配階級を敵から守る義務が主への忠誠よりもずっと重要であったようです。
なので、主君に反逆した武人はそれほど倫理的に裁かれないのですが、民を守る義務を果たせなかった武人は、民から絶縁状を突き付けられることも多々!

 

 

 

 

 

それまで、一丸となって防衛に参加していた住民が形勢絶望となると、代表を領主の許に派遣して開城を要求したという史実が数多くあります。
領主に出て行ってくれということですね。

 

 

 

 

 

それまでの支配者が立ち去り、新たな支配者が住民を守る義務を受け持つのです。

 

 

 

 

 

武士より騎士の方が優れていると思って書いているのではなく、その歴史の積み重ねが現代の組織の考え方、防衛の考え方に差が出て摩擦が起こっている様に思います。

 

 

 

 

 

日本人の軍備アレルギーも我々からすれば理由がある事で、城下町はあるが城中町が無かった歴史を知らない欧米人には、不可解としか思えないはずです。

 

 

 

 

 

共通のルールの下で行うスポーツが互いの理解を深めるきっかけになれば、というのは昔からの願いであり希望です。

 

 

 

 

 

東京で行われるオリンピックが、設備会場、費用でゴタゴタする事なく、お互いの理解と尊敬を深める場になればと思います。

 

 

 

 

 

そんな思いも込めて、共通のルールでスポーツを楽しもう!