2016.09.07 驚異の野球人『上原』という男
ライター
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スポーツの楽しさをお伝えするATHLEADブログ。
こんにちは。
はい、こんにちは。
36回目の登場です、カトウです。
アスリードの夏大会が始まり、 全国各地で盛り上がっている今日この頃。
プロ野球界では、ペナントレースも終盤!熾烈な順位争いと、 個人タイトル争いが繰り広げらているのでやんす!
・・・。
そんな中、 今ではメジャーで活躍しているあの上原投手の記事を見つけました よ!
是非、読んでくださいな。
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スポーツ界では時に、偉大な才能が同時期に世に出ることがある。
松坂と異なった上原浩治の立ち位置
それは1999年の松坂大輔(西武)と上原浩治(巨人)である。
だが、それぞれ日本を代表する投手でありながら、 その立ち位置は全く違う。
甲子園の優勝投手で松坂世代の象徴的存在として語られることも多 い松坂大輔とは対照的に、
なぜなら、 東海大付属仰星高時代の上原は建山義紀(元日本ハム) の控え投手で、
つまり、松坂がプロ1年目に16勝を挙げた同じ年齢の頃、 上原はどこにでもいる名もなき無力な19歳だったのである。
これぞ「雑草魂」という成り上がり野球人生を突き進み、 大学日本代表チームのエースとして君臨した。
苦渋の決断? 上原の巨人入団
そして、98年秋のドラフトで巨人に逆指名入団するわけだが、
今思えば、入団時から規格外の選手だ。 これまでの江川卓や桑田真澄といったアマ球界の大物投手たちは、
もしかしたら、「巨人は通過点でその先にメジャーリーグ」
タイトル独占! 1年目の上原浩治
プロ入り後も、浪人時代の19歳の気持ちを忘れないために「 背番号19」を背負った上原は開幕ローテ入りを果たし、
最終的に20勝4敗、防御率2.09、 179奪三振という驚異的な数字を残し、
最多勝、防御率、 最多奪三振、最高勝率、新人王、 そして沢村賞とあらゆるタイトルを独占してみせた。
1年目の上原で印象深いのは、やはり10月5日ヤクルト戦( 神宮球場)での「涙のペタジーニ敬遠事件」だろう。
7回裏、 チームメイトの松井秀喜と激しく本塁打王争いをしていたペタジー ニに対して、巨人ベンチは敬遠を指示。
と思いきやマウンド上の上原は、 外角に大きく外す一球を投じた直後にマウンドを蹴り上げ、 涙を流した。
当時のテレビ中継では、 その表情をアップで捉えると「汗と涙が混じっています」 という実況アナの声も確認できる。
「俺なら抑えてみせる。 なぜ信用してくれないんだ」と言わんばかりの涙の抗議。
プロの選手としては決して褒められたものじゃなく、 監督の采配批判とも受け取れる行動だが、
メジャーリーガーになった上原
2年目以降、上原は巨人のエースとして定着し、 度々最多勝や防御率のタイトルを獲得。
時に故障に泣き、チーム事情からクローザーとして起用されることもあったが、
33歳で念願のメジャーリーガーの仲間入りをすると、 その後はレンジャーズ、レッドソックスと渡り歩き、
巨人と上原浩治の今
そして今季から古巣巨人では、 自身と同じ生年月日の75年4月3日生まれの高橋由伸が監督就任 。
昨年11月の由伸引退セレモニーでは、「 いつでも話し相手になります」 とビデオメッセージを送る良好な関係は健在で、
在籍時から度々ポスティングを訴え、 FAでメジャー移籍をしただけに巨人との関係が心配されたが、
「巨人関係者の皆さん、 ありがとうございました」とツイート。気が付けば、 巨人を出てから8年の歳月が流れた。
あの衝撃のプロデビューから17年。現在、 上原は右胸筋痛で戦線離脱中だが、 その去就には常に注目が集まる。
果たして、 来季42歳になる男はアメリカで投げ続けるのか、それとも……。
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感動、カトウ!カトウ、感動!!
カトウが野球を始めた頃に、プロデビューした上原選手!
彼の今後の活躍にも期待・大です!!!
よし、今日もスポーツを楽しもう!