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2016年8月25日

2016.08.25    「ルネサンスについて」

ライター
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スポーツの楽しさをお伝えするATHLEADブログ。

 

 
こんにちは、シェフ阿川です。

 

 
巷でよく耳にする単語ですが、そもそもルネサンスとは何なのか?
僕自身も学生時代からはっきりと理解できずにいました。
高校の教科書には「古代復興」と書かれていますが、載っているのは芸術作品ばかり!

 

そんな疑問もこの歳になってみて、より知りたくなりました。

 

実はその知りたいという思いそのものが、ルネサンスの原点でした!

 

一千年の中世を経て起きたルネサンス、それは「見たい知りたい、解りたい」という知的欲求の爆発から始まった活動と結果でした。

 

それまでの一千年間、「信じることで救われる」という考えが絶対でした。
なので、疑問を持ち疑う事自体が罪という教えです。

 

そんな教えの中、イタリアでルネサンスが起きたというのは興味深いです。
ローマには教会の総本山があるにもかかわらず、フィレンツェ、ローマ、ベネツィアで起こったのは何故か?

 

豊かでなかった時代にも関わらず肥え太った坊さんを身近でみていて、その彼らのお金の運用を任されていたのがフィレンツェの金融業者でした。
そのせいで冷静に現実を直視できるようになったのでしょう。

 

当時、ダンテの「神曲」に書かれたようにペストの大流行で人口の3分の1が亡くなったというのも、現実を直視する要因であったかと(信じるだけでは救われないという現実。)

 

では何故、古代に目を向けたのか!

ここでの古代とはギリシア・ローマ文明の事です。

 

その時代の地中海を中心とした世界には、今に至る一神教の存在しない世界で文明を築いたからです。

 

そんな社会が優れた政体を作り上げ、そればかりか広大な帝国を数世紀にわたり維持し、尚且つ文明の華をさかせたからです。

 

ローマ世界以後、現代に至るまで「普遍帝国」(パクスロマーナという平和を享受出来る世界)を人類は作り出せずにいると言われています。

 

一千年、坊さんのいう事を聞き続けたのに何の改善も進歩もなかったという事実から、かつての繁栄を極めた文明に注目したのは当時の結果かと!
しかもイタリア半島自体がその舞台だったのだから。

 

見たい知りたい、解りたいという想いも思うだけでなく、それを表現しようとした結果が作品となり、創造する行為が”理解”の本道となりました。

 

ラテン語のシエンティア(scientia)が伊語でシェンツァ、英語ではサイエンスとなります。
語源のラテン語の意味は知識、ないし理解でした。
それを表現し形に残すと科学、芸術になるという事です。

 

ルネサンス時代に芸術品、文学と優れた作品が集中しているのは、こういった知識と理解を表現した結果です。

 

ダ・ヴィンチは完成させた作品自体はあまり多くなく、多種多様な分野に手をだしては途中でやめてます。
彼の頭の中は常に疑問で溢れていたとしか思えません。

 

ただ、途中で止めた創作には2つの理由がありそうです。

 

1つは、彼であっても頭の中で考え描くような完璧な美を画筆で表現するには、自分の技量が不充分であると自覚した場合。

 

もう1つは、彼にしかありえないでしょうが、途中で理解解明してしまい、完成した姿が見えてしまった。
なので知的欲求が消えてしまった場合です。

 

彼は、権力者やその愛妾の肖像画などは、さっさと完成させています。
それでも抜群に優れた絵画なのですから飛び抜けた天才だったのでしょう。

 

ルネサンスでは、芸術科学だけでなくマキャベリのように、人間性の本質を見極め、現実に合った政体を追求した思想家もでました(当時の祖国フィレンツェを秩序ある社会にしたいという想いからでしょう。)

 

今回はルネサンスの触りだけで終わりますが、最後に今から二千年前のローマ人の言葉を紹介して終わりたいと思います。

 

 
「人間ならば誰でも現実のすべてが見えるわけではない。多くの人は見たいと欲する現実しか見ていない。」

(ユリウス・カエサル)