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2016年8月11日

2016.08.11    「働きバチなる概念」

ライター
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スポーツの楽しさをお伝えするATHLEADブログ。

 

 

 

こんにちは、シェフ阿川です。

 

 
2~30年前までは日本人はエコノミックアニマルとか働きバチと称されて欧米人からは白い眼で見られることが多かったようです。

 

ところが、7~18世紀まで独立国家として共和制を貫いたベネツィア共和国も同じ様に称されていました。
限られた資源の有効活用を追求して生き抜いてきた16世紀までのベネツィア人を働き者と称していた様です。

 

その当時は我らが日本人と同じ様に白い眼で見られてもいたようですが、17,18世紀になれば、称賛の意を込めて言われていました。

 

その変化はおそらく、政治体制の確立、経済的繁栄の後に来る文化文明の創造まで成し遂げたからではないかと。

 

18世紀も後半、かのゲーテは有名な「イタリア紀行」のなかで次のように書いています。

 

 
ー1786年9月28日夕方、ブレンダ川を後にして潟にはいったわたしは、生まれて初めてベネツィアを観るのだ、と。それから程なくしてその地表に立ち、この素晴らしい島の都、この海貍の共和国を観てまわる事が出来るのだー

 

 
「ビーバーの共和国」とはさすがはゲーテ、的を得た例えです。
ビーバーとは毛皮を思い浮かべる人が多いでしょうが、実はすごく働き者の生き物なのです。
木や枝を口にくわえて泳ぎ回り小川などをせき止めて「ダム」を作っています。

 

そしてベネツィアは海の中に人工的に建設された都市です。
まるでビーバーがせっせと働いた挙句に作り上げた巣のように、ビーバーの共和国と評したゲーテの言葉は、まさに真実に迫った例えです。

 

ただ彼の訪問は、完成されて300年も経った後の海貍の都市です。
そんなにたっても、働き者という評判は北のドイツ人でも忘れていなかったということです。

 

2~30年、働きバチなどと言われても恐縮する必要はなかった、ということです。

 

ただし、ビーバーと働きバチは似ているようでいて、似ていないのです。
蜂の方は、花々をいそがしく回って貯めた蜜を、女王様を養うためだけに使い自分のためには使わないのです(旦那の悲哀を感じますね。)

 

一方、海貍となると、忙しさは一緒でも出来上がったダムの内部は彼だけの巣になる。
巣が出来上がっても、安住して働かなくなるということも起こらないのもビーバー的ですが、少なくとも巣は彼だけのものです。

 

日本人も住が整い街作りも美しくなると、海貍と称されるようになるのかと!

 

しかし現実にはまだそのようには呼ばれた事はないでしょう。

 

他国に影響を与える文化文明を未だ創造出来ていないのか!

 

古代ギリシア、ローマもルネサンスもフランスもイギリスもアメリカも、先ずはお金を儲けてから文化文明を創造した。

 

大帝国を築いても大したものを残さなかった民族もいます。
絶えざる好奇心があれば、我が日本も他国に影響を与える文化文明を創造し、ビーバーと称されるようになるのかもしれませんね。