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2016年7月7日

2016.07.07    「カルチョとイタリア人」

ライター
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スポーツの楽しさをお伝えするATHLEADブログ。

 

 
間も無くEURO2016も大詰め、寝不足の方も多いでしょう。

今回はイタリアとは切っても切れない「カルチョ」について!

 

とあるイタリア人に、イタリアのサッカー人口をたずねると、「8千万人」と答えが返ってきました。
ではイタリアの人口は?・・・即答で「8千万人‼︎」
これだからイタリア人は(笑)

 

特にサッカーを好む理由は幾つかあるのでしょうが、彼らの多くが技の冴えやキレを好むからではないかと思います。
手を使えないという事は想像力も求められます。

 

ルネサンスを生み出した土地だけあって現代でもスポーツ、ファッションとイタリアならではのエレガントなファンタジアが求められているような気がします。

 

理由に挙げられるもう1つは、彼等が特に役割や持ち場を厳密に定められる事が嫌いな人種だからかと。
ポジションはあっても流動的で状況に応じた臨機応変の対応が求められるのが合っているのでしょう。
なので、日本人には不向きな3バックを好んでいる様に思います。

 

イタリア語に「カッティヴェリア」(cattiveria)という言葉があります。
日本語に訳すと、「悪意、悪さ」という意味になってしまいますが、単なる悪意ではありません。
究極の自己中で、自分の為にプレーしているのに結果的にはチームの勝利に導いているという行動(利己主義とは全く別です)。
イタリアでは惜しい負け方をした試合を「カッティヴェリア」が欠けていたと評します。
その典型的な試合が2000年のEURO決勝戦ではなかったかと(古くてスミマセン)。
相手のフランス代表のジダンにはそれがあり、イタリアにはなかった!(ロスタイムからの逆転劇)

 

中田英寿がペルージャで活躍していた当時の監督の言葉で「全てを持っているナカタだが、カッティヴェリアだけはまだ会得していない」というコメントがありました。
真のレジェンドになれる人間には「悪意」が必要不可欠だとイタリア人は考えているようです。

 

今の日本の選手に求められるのは決定力というよりはエースのカッティヴェリアではないかと思いながらキッチンでボケっと立っています。

 

今日もスポーツを楽しもう!