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2016年3月15日

2016.03.15    別れの季節

ライター
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スポーツの楽しさをお伝えするATHLEADブログ。
こんにちは。ビッグフット藤本です。

 

3月といえば別れの季節。
学生時代は、卒業式で仲間との別れを惜しんだものです。
しかし、この別れは仲間だけではありません。
それまで慣れ親しんだ、スポーツとの別れでもあるのです。

 

そこには日本独自のスポーツに対する背景と、現在の制度があるようです。
面白い本があるので、ご紹介致します。

 

玉木正之著の『スポーツ解体新書』です。 (朝日新聞 発行)
欧米のスポーツクラブは、日本の様に企業に属さず、そのほとんどが地域社会に属しています。都市や町村には、必ず体育館やグラウンドといった施設の整ったスポーツクラブが存在し、その地域の住民が、クラブの一員としてスポーツを行ったり、同じクラブのプロチームを応援したりして、スポーツを楽しんでいます。
そのような地域社会の総合スポーツクラブで、誰もがスポーツを楽しむ事、それがスポーツのあり方として、世界の一般的な形態なのです。

 

一方、日本のスポーツクラブは「企業スポーツクラブ」が一般的で、その企業の社員しか参加できない、という事が大原則となっています。そして、高校や大学で好成績を残したスポーツマンは、自分の行っているスポーツ種目のレベルの高い会社に就職し、その会社の社員として競技を続けるのが一般的なケースになっているのです。
このように、ひとつの企業の社員だけが集まってスポーツを行う「企業スポーツ」という形態は、日本と韓国と台湾くらいにしか存在しない、世界的にも珍しいケースといえるのです。

 

では、どうして日本ではそのような「企業スポーツ」が発達したのでしょうか?
それもまた明治時代に欧米から伝播したスポーツという文化を、「体育」として受容してきたことに遠因を求めることができます。

 

陸上競技や体操や水泳などの様々なスポーツは、明治時代の富国強兵の国策に則り、兵隊の訓練や兵士予備軍としての男子学生や生徒の身体を鍛えるために活用されていたのです。そのスポーツを「遊戯」と呼ぶのは不適切ということで、「運動」「体育」といった言葉が使われるようになります。

 

さらに軍国主義の世の中となった戦前の日本では、軍事教練と体育教育が一体化するようになり、第二次大戦が終わって戦後民主主義の時代が訪れても「スポーツ=体育」という考えが残り、日本のスポーツは命令と服従といった規則や体罰を伴う訓練など、少々軍隊式のスタイルを残したまま学校体育と結びついて発展しました。

 

その根本的な原因としてはスポーツという言葉に適当な日本語が存在しなかったこともありますが、我が国では欧米のように地域社会の中のスポーツクラブが発達せずスポーツを行うには学校の施設を利用し学校の体育の先生がスポーツを教える以外になかった、つまり「スポーツ=体育」として発展する以外になかった、とも言えます。

 

スポーツとは、生徒が、学校の「体育」または「課外授業」として行うもの、という常識が広まった結果、スポーツマンは学校にあるグラウンドや体育館の施設でスポーツを行うのが当然と考えられるようになり、地域社会にスポーツクラブをつくるという発想が、日本では生じませんでした。
そして、高校や大学を卒業して社会人になったスポーツマンにはスポーツを行う場所が無い、という問題が起こるのです。
その為、多くのスポーツマンは、学校や卒業して社会人になると同時にスポーツから引退する事を余儀なくされたのです。

 

学校を卒業して「体育」≪フィジカル・エデュケーション(身体教育)≫の機会が無くなってしまっても、
仲間との「スポーツ」≪余暇、レジャー、祭り、遊び、冗談、気晴らし、戯れ≫の機会は作っていきたいものです。
※スポーツの語源、ラテン語のデポラターレの意味

 

それでは今日もスポーツを楽しもう!