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BLOG

2015年9月11日

2015.09.11    日陰に咲く花

ライター
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スポーツの楽しさをお伝えするATHLEADブログ。

こんにちは。はい、こんにちは。

12回目の登場、遂にカトウのブログも1ダースに丸々収まる程になりました。
2ダース、3ダースとなっていけるよう、これからもさらに熱いブログを書いていきますので、ATHLEADブログ愛読者の皆様、そして初めて読むというこれからのATHLEADブログ愛読者皆様、末永くよろしくお願いします。

はい、よろしくお願いします。

ところで、1ダースで思い出したのですが、プロ野球の日ハムにダースという投手いましたよね!?
ええ、確か、フルネームが「ダース・ローマシュ匡」。関西高校のエースとして甲子園でも活躍してましたね。
今もプロで頑張ってるのかな??

“ダース・ローマシュ匡” 検索っと!

なるほど!
今は、「スペース11 ダルビッシュ ミュージアム」の責任者を務めているのかぁ。
現役を離れた今も尚、彼はミュージアムを守る責任という重圧を背負っているんですね。
カトウもガンバろ!!

はい。
ということで、話は戻りますが冒頭でも述べたように今回は「審判」について語ろうかなと思います。

・・・。
今、スマホを片手に指でスクロールしました?
このブログの最初の方に戻って、「あれ、あれれ、審判の話してたかなぁ」って思いました?思いましたよね!?

テッテテー♪
『ドッキリ大成功』

「カトウドッキリシリーズ第1弾」、大成功です。
ありがとうございます。
次回以降もよろしくお願いします。

はい、よろしくお願いします。

では、本題の「審判」について語りたいと思います。
審判というのは、どのスポーツにおいても必ずいる、とても重要なポジションです。
ただ、スポーツをする、観戦をする、こんな時に審判という人物を意識する人はあまりいないのではないでしょうか。
カトウ自身もあまり意識をしたことはありません。

そんなカトウが、あるときに野球の主審をやることに。
主審のジャッジによって試合の結果が左右されるといっても過言ではありません。
あの「ストライク」、あの「アウト」の宣告が実は誤審だったとすれば・・・。

審判は華やかなスポーツ選手の影に隠れていますが、その試合すべてをミスのないよう判定するという、とてもつもない責任という重圧を背負っているんですね。
そう、あのミュージアムの責任者であるダースのように。
ダース・ローマッシュ匡のように。

・・・いいんですよ。
今回はスクロールをしてもいいんですよ。
なぜならば、今回はドッキリではなく本当にこのブログの冒頭にダースがいるのだから。

はい。

カトウは野球の審判をしたきっかけで、審判について知りたくなりました。
審判の楽しさ、辛さ、責任、いろんな想いを知りたいです。
カトウは調べました。
審判について調べた結果、感動名場面見つけましたよ。
見てくださいよ。

※中日スポーツ「KOSHIEN新世紀」より抜粋します。

——————————

<98年夏・2回戦 豊田大谷-宇部商戦>

100年目を迎える甲子園でも、たった1度の幕切れがある。1998(平成10)年夏の第80回大会2回戦。豊田大谷(東愛知)と宇部商(山口)の試合は延長15回、宇部商のエース・藤田修平のサヨナラボークで決着がついた。球審を務めた林清一(59)にあの判定と「ルールの番人」の秘話を語ってもらった。(文中敬称略)

<気温38度、観衆4万9千人>

試合開始から3時間52分。炎天下の激闘に幕を引いたのは、選手ではなく球審を務めた林のジャッジだった。その瞬間、ぼう然と立ちつくしていた藤田だが、ベンチ前に整列するころには号泣していた。ボーク、満塁、しかもサヨナラ。歴史に刻まれる判定は、無情と言われようとも「見たまんまで判断する」。当時43歳。それまでの審判員のキャリアで自らに言い聞かせてきたことを、このプレーでも適用しただけだった。

(中略)

<襲いかかる「不安」との闘い>

もし藤田が足を外していれば、ボークではない。「だんだん不安になりました。(ミスなら)やっちゃった、審判人生、終わりだな」とも思った。 ほどなくテレビを見た審判仲間や関係者から「間違いなくボークだった」の確認が入った。

黒子に徹するはずの審判が、最後の最後で主役になった。試合後の会見では報道陣に取り囲まれ、詰問された。「なんであんなところでボークを取るんだ」、「注意で終わらせられないのか」。この場を納めたのは、大会本部でプレーを見ていた幹事審判の三宅享次だった。「審判は、ルールの番人です。以上!」と制した。

<「勝利球」は敗戦投手の元へ>

だが、林は血の通った番人だった。甲子園には「ウイニングボールは目立たないように、勝利校の主将に渡す」という暗黙のルールがある。が、 藤田が返そうとしたボールを、林は受け取らなかった。
「持っておきなさい。そして来年、また甲子園に来なさい」。藤田が2年生であることを知っていたからだ。 勝った豊田大谷にはポケットから出した別の試合球を手渡した。

つるべ打ちにあう投手がいる。投球数は増え、何度も三塁、本塁のカバーリングに走り肩で息をしている。本塁付近にいれば「頑張れ」とそっと声をかける。

大敗の終盤に背番号「18」の選手が代打で出てくる。明らかに足が震えていれば、こっそり「深呼吸しなさい」とささやいて、汚れてもいない本塁ベースを掃き、時間を取ってやる。

「甲子園は、誰にとっても一世一代」。少しでもいいプレーをさせてやりたい。林は、「そういう時のために、通常は無駄な時間を省いて“貯金”をしておくんです」と、笑って教えてくれた。

15年後の2013年夏。100年に1度のジャッジを下した林と、211球目を投げられなかった藤田が、高校野球イベントで再会を果たした。32歳になった藤田は、家庭を持ち、職場での野球を楽しんでくれていた。「元気でやっているところを林さんに見せたくて」。山口からかけつけた藤田の姿と言葉に、林は「感無量」と漏らし、涙を流したという。

——————————

カトウ、感動!感動、カトウです。
スポーツの名勝負、数え切れない程沢山あります。

「エース 対 4番」、「残り3秒からの逆転3ポイントシュート」、「最終セットまでもつれ込むバレーボール決勝戦」、「お母さんが部屋のベッドの下を勝手にのぞき込む昼下がり」・・・。

普段は影に隠れている審判。
そんな彼らの名勝負。
たまにはあってもいいものですね。

スポーツの数だけ、試合がある。
試合の数だけ、名勝負がある。
名勝負の数だけ審判のジャッジがある。

どんなスポーツ、名勝負にも審判はつきもの。
今後はそんな審判にも注目をしてスポーツ観戦をするのもいいですね。

あれ、でも、この「感動秘話」、他でも読んだことがあるような・・・。
あー。ATHLEADブログで、ガミザップがすでに投稿していたー。ドッキリじゃなくて、本当にあるー。
が、内容が若干違うから、違う確度からの秘話としてこのまま紹介します。はい!

よし、今日もスポーツを楽しもう!!