Athlead03
 
Athlead02
 
Athlead01
 

BLOG

2015年8月10日

2015.08.10    信念を貫く! 後編

ライター
<? echo $writer2->name; ?>
name; ?>

スポーツの楽しさをお伝えするATHLEADブログ。

「アスリートの魂」担当ブロガー、元芸人ZAKIです。

前回から続く「信念を貫く!」ですが、今回は後編をお届けします!

その前におさらいですが、野球エリート街道を進んでいた、阪神や日本ハムで活躍した坪井智哉選手。
年齢や怪我などの問題から2度の戦力外通告を受けます。
誰もが解説やコーチの仕事に就くのではないかと思っていましたが、坪井選手は野球の本場アメリカへと渡りメジャーリーグを目指すのです!

ということで、今回は、アメリカに渡ったところからお伝えします!!

2012年に独立リーグへ所属し、メジャーを目指すことになった坪井選手。
ここにたどり着くのにも問題がありました。

契約に関しては代理人が行いますが、「自分の希望の契約はあるが、それが無理なら、球団の条件で構わない」という要求が代理人にはうまく伝わらずに、せっかくのチャンスが破棄される寸前まで行ってしまったのです。

何とか契約するも、我々が知る華々しいメジャーリーグとは違い、アメリカ野球の底辺は厳しい。

まず給料。
「サラリーマンの平均月給と1か月フルにバイトに入った間の給料くらい」
と坪井選手は例えています。
日本で、何千万も稼いでいた選手が海外では年俸何百万という生活をしている。
金銭面の厳しさが伺えます。

そして食事。
球団が用意するのは「ハンバーガー、ホットドッグ、ブリトーのローテーション」という栄養などは度外視されたメニュー。
この他を食べたければ自炊、または外食となるわけですが、金銭的な余裕がないため外食はほとんどありません。

さらには移動。
一流選手となれば、飛行機で移動ですが、坪井選手は狭いマイクロバスで長距離移動は当たり前だったそう。

極めつけは、住居。
球団によって様々な契約になっているようですが、坪井選手が所属することになった球団は、協力してくれる地元の人の家にホームステイのように住まわせてもらう。
ですが、最初にそれを与えられることなく住む家がない状態!
そして、やっと決まったというホームステイ先に連絡を入れると、「その話は断ったはず」とまさかのNG!!
チームメイトに助けてもらい、チームメイトのホームステイ先に転がり込むと、球団からは勝手なことをしたと判断され、その家からも追い出されてしまう。

野球をする以前に、クリアしなければならない問題が山ほどあったはずです。
野球に集中したくてもできない環境。
この中で上を目指すわけですが、生存競争が半端じゃなく過酷です‼

独立リーグの球団は大きくはなく、資金には余裕がないため、活躍できないと判断された選手はバンバン解雇されてしまいます。

試合で怪我をして、全治2週間となれば即解雇。
チーム方針が若手育成になれば即解雇。
とにかく活躍し続けなければならないのです。

年齢の問題もあり、坪井選手にはそれがかなり重くのしかかっていただろうと想像できます。

そして、渡米して2年経った2014年。
坪井選手に最大のチャンスが訪れます。

米独立リーグの中で、最もメジャーに近いといわれるアトランティックリーグのチームからオファーがあったのです!

坪井選手が目指したメジャーへの信念が身を結ぼうとしていました。
がしかし、現実は厳しいということを思い知らされます。

2014年8月 坪井智哉 引退。

活躍はできなかったのです。
これ以上のチャンスはなく、レベルを下げて現役を続けても、メジャーへの道は遠い。
というのが引退理由の1つとなっています。

自分の信念を最後まで貫いた坪井選手の姿勢は確実に心に響きます。
現役時代には、一度も話したことがない読売ジャイアンの原監督から、「坪井くん!キミは本当に野球が好きなんだね!そういう人材は野球界の宝だ、君の経験を還元していかなければいけないよ」と言われたというエピソードもあるくらいです!

想像を絶するほどの過酷さ。
もしかすると見る人によっては痛々しく映ってしまうかもしれないほどの経験をした坪井選手。

しかし、当の本人はさほど気になっていないのかもしれない。
「おっさんの夢があってもいいんじゃないかって思う」
と坪井選手は語ったことがあります。

信念とともに夢を追いける者の強さを魅せられた気がします。

さあ、スポーツを楽しもう!