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2015年8月2日

2015.08.02    8月の代名詞

ライター
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スポーツの楽しさをお伝えするATHLEADブログ。

こんにちは!
暑い日が続いていますが、暑さに負けず頑張っていきましょう!
今週コボリがお届けするのは、8月の代名詞にもなっている「甲子園」と「戦争」にまつわるものです。

今から54年前の1958年(昭和33年)の夏。
戦後の日本で開催された第40回全国高等学校野球選手権記念大会。
その大会に沖縄県代表として、初出場した首里高校。

1回戦の相手は敦賀高校(福井代表)。
首里高校は善戦むなしく、敗退となってしまいます。

悔しさを滲ませながら、首里高校の選手たちは甲子園の土を沖縄へ持ち帰ろうとするのですが悲劇が彼らを待ち受けていていました。

なんとその”土”を那覇港で捨てさせられたのです。

当時の日本は戦後。
沖縄はまだアメリカの施政下にあり、沖縄と本土は他国という扱いになり、お互いを行き来するためにはパスポートが必要でした。
そのため、甲子園の土とはいえ、植物防疫法に抵触するとの理由で、検疫官の指摘により、”沖縄(アメリカ)”へ植物にあたる”日本の土”を持ち込むことは許されなかったのです。

選手たちは汗を流し、練習を重ね、ようやく掴みとった甲子園の切符。
結果は1回戦敗退となりましたが、青春の思い出すら形に残すことができず、非常に落胆していました。

しかし、その落胆を希望へと変える、手が差しのべられたのです。

当時、日本航空の客室乗務員であった、近藤充子さんが「土を持ち込めないなら、石はどうか」と発案。
甲子園の”石”を集め、首里高校に贈呈したのです。

その後、その”石”は野球場の形にかたどられ、「友愛の碑」に刻まれることとなりました。

戦争・青春・希望・愛・・・さまざまな想いが詰まった「友愛の碑」は、54年の時を経た今もなお、形を変えずに厳然と首里高校にたたずんでいるそうです。

夏になるとこういった話が思い起こされることが多くあります。
またそれに加えて毎年様々なドラマが生まれていきます。
今までの歴史を忘れることなく、新たなドラマを見逃さないようにしていきたいです!

それでは今日もスポーツを楽しもう!