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BLOG

2015年6月5日

2015.06.05    高知の独立リーグを選んだ「名決断」!

ライター
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スポーツの楽しさをお伝えするATHLEADブログ。

こんにちは。

突然ですが、「こんにちは」と10回言って!

こんにちは
こんにちは
こんにちは


はい、こんにちは。

5回目の登場、そして、アメリカ五大湖の航空写真を見ては少し興奮するのが日課のカトウです。

今回はいつもにも増して脂っこい登場ですね。
それもそのはず、今週末からスポ活大会が野球、サッカーと各地で開催されるからです。
これは気合を入れるしかないでしょう。
大会現場でお会いするのを楽しみにしています。

さてさて、いつもの寄り道はこの辺にしておいて本題に入りましょう。

今回はカトウが大好きなプロ野球についてです。
しかも、今話題のあの選手の名勝負ではなく「名決断」をご紹介したいと思います。

1980年生まれ。
高校2年生のときに甲子園出場を果たし、1998年のプロ野球ドラフト会議で阪神から1位指名を受け入団。
その後、阪神で主に抑えとして活躍し最高峰のメジャーへ行った男。

そう、あの男「藤川球児」選手です。
生まれた前日に草野球で父親がノーヒットノーランを達成したために「球児」と名付けられたこの男。

阪神時代はJFKの一角としてチームのリリーフ陣の顔となり、優勝に貢献。
ちなみにこの「JFK」はバタ子さんの名ゼリフ「ジャムおじさん、フランスパンで、顔作りよ」の略ではないので気をつけてほしい♪

正解は、ジェフ・ウィリアムス、藤川球児、久保田智之の3人のリリーフ投手の頭文字を組み合わせたものでJFK。
知っている人は知っている最強の中継ぎ陣です。

そんな、藤川選手は2013年から舞台をメジャーへ。
「現役の最後までやるつもり」と移籍したものの、度重なる怪我のため一軍登板が中々なく登板機会に恵まれませんでした。

そして、2015年5月22日に自由契約となり事実上のクビ宣告。
6月1日のスポーツ新聞には「古巣・阪神復帰が決定的」という記事が。
「阪神復帰」という4文字が日本のプロ野球ファンの中でよぎりました。

しかし、それは現実にはなりませんでした。
藤川選手が選んだのは「古巣・阪神」ではなく「故郷・高知」。
高知にある独立リーグを選んだのです。

「僕と妻の生まれ故郷の高知で、未来のスーパースターになるチャンスを持った子供達に僕が投げる姿を見てもらって今後の夢に繋げてもらいたい! 僕が投げる事で喜んでくれる人達の顔が見たい。僕を応援してきてくれた人達、育ててくれた高知から野球人生を再スタートする事に決めました。高知ファイティングドッグスでプレーすることになりました」

と感動的な決断理由を藤川球児オフィシャルブログで述べています。

実は、藤川選手、2年前に右ひじのじん帯再建手術を受けたことで心境の変化があったのでした。

「リハビリ中に沢山の事を考える時間が出来ました。今まで当然の様にボールを毎日投げられていたのに投げられない。たった5m投げられる様になって喜んでました。その距離が少しずつ伸びるにつれて僕の考え方も変わっていきました。元気になったらとにかく投げる喜びを1番に感じられる場所で腕を振りたい。必要とされる場所で投げたい。そして家族と一緒に居たい」

これはスゴイことですよ。
阪神に移籍していれば、年俸1億はいかなくても何千万はもらえたはず。藤川選手が選んだこの独立リーグの平均月給は10万程だそうです。

お金よりも家族、地位よりも地元。
この藤川の決断にカトウは感動しました。

カトウ感動、感動カトウです。

藤川選手の活躍により高知が盛り上がり、四国の独立リーグが盛り上がり、更には日本の独立リーグが盛り上がり、世間の関心が傾けば藤川選手の夢は叶い、日本の野球は一生安泰ですね!

カトウも藤川選手みたいに人の心を動かせられるビッグな男になりたいものです。

よし、日課の五大湖を見よう!興奮をしよう!!
そして、スポーツを楽しもう!!!