2015.05.25 KING KAZU「ブラジルでプロ選手になって、いつかW杯に出たい。」
スポーツの楽しさをお伝えするATHLEADブログ。
アスリートの魂伝道師マサです。
今回もKING KAZUの魂をご紹介させてもらいます!
~海外挑戦の巻②~
【ブラジルでプロ選手になって、いつかW杯に出たい。】
これはカズが高校1年生(1982年)の時に地元静岡の新聞インタビューに答えたものです。
前回同様になりますが、高校生の口から出る言葉とは思えないっ!
ブラジルで飛躍するまでの道のりを本日は綴ります。
ブラジルに渡った当時のカズは身長が低く、テクニックは持っていたものの他に一流と呼べるようなものはなく、指導者はカズの「ブラジルでプロになる」という夢を無理だと思っていたそうな。
渡ブラして3年後の1985年、志半ば夢を諦めて日本に帰りたいと思った時期、ふと寄ったリオデジャネイロの公園で現地の貧しい少年達がサッカーをしているのをカズは目撃した。
その中には裸足の子や片足がない子もたり、ボールは古くて汚いものだったけど、皆楽しそうにボールを追っていた。
カズは「自分には両足も、スパイクも、いいボールもある。何を俺は贅沢なことを言っているんだ」と思い、帰国を思いとどまった。
日常の何気ない風景に心が動き、実際の行動も変わってしまう。
こんな事って実際にあるんですね。
そっからの頑張りが効いたんでしょうね。
その年の8月プロの選手として(キンゼ・デ・ジャウーってチーム)静岡に凱旋し、当時静岡高校選抜のゴン中山や元ヴェルディの武田らと試合を行いました。
なんか、ここがドラマですね!
この時ってきっと知らない同士なんでしょうけど、後になって気づく。
これから先の物語が、ここから始まってるんだなって、後になって気づく。
うーん。
前回も綴りましたが、一人ぼっちで辛くて、寂しくて、モノ無くなったりと辛い事たくさんあったけど、
【ブラジルでプロ選手になって、いつかW杯に出たい。】
って気持ちで一生懸命頑張ったんですね!
その後はというと、ザーーっとですが、サンパウロ州のサントスFCとプロ契約。
しかしサントスFCで出場できたのは1部リーグ2試合だけに留まり、1986年10月にはパラナ州のSEマツバラへレンタル移籍、1987年2月にはマツバラと正式契約を結び、レギュラーとして南部三州リーグ優勝に貢献。同年10月、アラゴアス州のクルベ・ジ・レガタス・ブラジル(CRB)に移籍し、ここでもレギュラーとして活躍、日本人で初めてブラジル全国選手権に出場した
苦い経験も味わいながらも、結果的にはプロの階段を上っていきます。
次回は
ブラジルにおさらば!
日本に帰国!
な話を中心に綴っていきます!
それでは今日もスポーツを楽しもう!