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BLOG

イタリアとスポーツ

2017.11.14    「すべての道はローマに通ず」

ライター
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スポーツの楽しさをお伝えするATHLEADブログ。

 

 

 

 

 

 

 
こんにちは、シェフの阿川です。

 

 

 

 

 

代々木に出勤中に千駄ヶ谷を通るのですが、東京オリンピックに向けて、新国立競技場の建設が急ピッチで行われている様に感じます。
ただ、いつも思うのは記念碑的な目的で、常に新しいモノを作り続ける事業を我々は求めているのか。

 

 

 

 

 

最近、ある有名な作詞家がTVで言っていたことが印象的でした。

 

 

 

 

 

東京は新しい事やモノに溢れているけれども、普遍的なモノや作品が無くなっている。
使う言葉もそうだし、飲食店も変らぬ店は少数になってきた。
何かエッジの効いた事を作りださなければ、と脅迫観念に取り憑かれているようで東京では作詞が出来ない、と。

 

 

 

 

 

自分も気付いていなかったのですが、料理を作るのに最新の流行を取り入れたりしてましたが、メニューに残るのは伝統的な技法や古典メニューだったりします。

 

 

 

 

 

今回は、モノづくりでもインフラの話を。

 

 

 

 

 

古代ローマ人は”インフラの父”と呼ばれるほどインフラを重視した民族でした。
それでも古代ローマ人の言語のラテン語にはインフラストラクチャーと言う言葉が無かったのは不思議です。

 

 

 

 

 

どんな言葉で表現していたのか、「モーレス・ネチェサーリエ(moles necessarie)」
日本語だと「必要な大事業」となりますが、使われる時には「人間が人間らしい生活を送るために」と加えて使われていました。

 

 

 

 

 

つまり、ローマ人はインフラを「人間が人間らしい生活を送るために必要な大事業」と考えていた様です。

 

 

 

 

 

現代の歴史家は「ローマ文明の偉大なる記念碑」と言う賛辞を使いますが、当時のローマ人の書いた文献にも碑文の中にも記念碑を意味する話はありません。

 

 

 

 

 

後世に遺すつもりであの大事業を行なったのではなく、人間らしい生活に必要だったのでやったに過ぎない。

 

 

 

 

 

それが結果としてモニュメントとして遺り、下水道に至っては現代でもそのまま使い続けているのです。

 

 

 

 

 

なので、道路も橋も建築物には作った人物の名が付けられてますが、一方で補修工事をしてリニューアルを行なった人物の名も付けられています。

 

 

 

 

 

必要になっても今あるものを有効活用する、という行為が自然に行われていました。
目的が人間らしい生活をおくる、だったから財政の健全化も最重要事項なのは当然ですね。

 

 

 

 

 

逆に、指導者が後世に名を残そうと大事業を行うと何故か、非常に短命な政権で終わってます。

 

 

 

 

 

ローマ人の遺したモノで象徴的なのはコンクリートです。
それも海の中で使うコンクリート。

 

 

 

 

 

グロセートの海に遺る遺跡も数あるうちの一つですが、”年月を経ると共に強度が高まり、環境を汚染する心配もない”

 

 

 

 

 

2000年経っても強度はバツグンという謎に科学者も頭を悩ませてきました。

 

 

 

 

 

現代のコンクリートは海では100年も保たずに粉々になるそうです。
しかも、ローマ人のコンクリートは高温加熱をせずに強度を高めていました。

 

 

 

 

 

謎の秘密は海水にあった様です。
海水によって浸食して出来た亀裂に化学反応を起こして塩の結晶が拡がって、更に強度を高めているとのこと。

 

 

 

 

 

どの様に化学反応が起こるのかは未だ解明されていない様ですが、塩の結晶というのも美しいだろうなあ、などと思ってしまいました。

 

 

 

 

 

真に実用的なモノが真の美しさなのではないか。

 

 

 

 

 

今更ながらですが、あるもの有効活用、コンパクト、低予算で開催という謳い文句だったオリンピック。
とこで道を間違えたのか、最初からそのつもりはなかったのか。

 

 

 

 

 

古代ローマ人のインフラ事業に対する姿勢「人間が人間らしい生活をおくる為に必要な大事業」

 

 

 

 

 

この言葉が深く心に残ります。