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2018年3月

2018.03.30    カッチュッコ(Cacciucco)

ライター
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スポーツの楽しさをお伝えするATHLEADブログ。

 

 

 

 

 

 

 

こんにちは、シェフの阿川です。

 

 

 

 

 

先日、久々に友人達に料理を振る舞うことに!

 

 

 

 

 

調理器具もスペースも時間までも限られたなかで何を作ろうか。

 

 

 

 

 

カッチュッコ‼︎

 

 

 

 

 

フランスで言うところのブイヤベースですね。

 

 

 

 

 

そもそもはイタリアが発祥で、リヴォルノ港の食堂で出されていました。
フランスにわたってからフランス風に洗練された料理に。

 

 

 

 

 

今ではこのカッチュッコ、綴りにcが5つあるので魚介を5種は必ず入れると言われていますが、発祥当時はただの”ごった煮”。

 

 

 

 

 

港の寝場所も無いような最下層の者達が、売れ残りやクズ野菜などを食堂に持ち込んで大鍋で煮てもらっていたようです。

 

 

 

 

 

時は十六世紀、ルネサンスも終焉を迎えたフィレンツェを中心としたトスカーナ大公国。
復権を果たしたメディチ家は、はるかに繁栄するベネツィアに追いつき追い越したい、足りないものは何か!
トスカーナにも商業港を作ればいい。
リヴォルノという海辺の小さな町を貿易の拠点にしよう、と決める。

 

 

 

 

 

海運業の歴史の無い寒村をどの様にすれば一流の商業港に仕立てることが出来るのか。

 

 

 

 

 

先ずは人材。
力仕事に物流、情報と金の操縦に長けた者達の確保。

 

 

 

 

 

思案の末、メディチ家は以下の様な御布令を地中海全域に発します。

 

 

 

 

 

<前科者やワケありの者達、そしてユダヤ人達へ
リヴォルノに移住し港湾で仕事に就けば忌まわし過去も煩わしい身元もいっさい関知しない>

 

 

 

 

 

スネに傷を持つ者や迫害や差別を受けて屈辱的な気持ちでいる人達なら、どんな不遇も跳ね退けて這い上がろうとするのではないか。

 

 

 

 

 

この目論見は見事に的中してトスカーナには筋金入りの”ならず者”や苦労人達が押し寄せたのです。
ユダヤ人達は持ち前の金銭感覚と人脈を駆使して貿易や金融の流れを構築。

 

 

 

 

 

人が集まれば当然、食事を提供する食堂も発生します。

 

 

 

 

 

先に述べたように、出自もバラバラの底辺の労働者達が持ち寄ったバラバラの食材を1つに煮込んだ料理がカッチュッコでした。

 

 

 

 

 

当時の港の状態そのままの料理、ごった煮ですね。

 

 

 

 

 

さて、いざ作るとなると鱗や内臓などの下処理がちょっと手間ですが、ここをしっかりと処理しておけば後は煮るだけ。

 

 

 

 

 

皿に取り分けるのもテーブルで直接!
残った汁でリゾットにすれば皆も大満足です。

 

 

 

 

 

ホームパーティーにはオススメのメイン料理ですので、是非チャレンジしてみてください。