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BLOG

2015年7月

2015.07.31    幸せを運ぶスポーツ

ライター
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スポーツの楽しさをお伝えするATHLEADブログ。

こんにちは。
はい、こんにちは。

9回目の登場、そして、プロ野球ベストナインに選ばれたい気持ちがおさまらないカトウです。
この気持ち、カトウが本格的に野球を始めた小学4年生のときから抱いていた、密かな、そして、大きな野望なのです。

プロ野球選手になりたかった・・・。
バーモンドカレーのCMをやりたかった・・・。

24歳の今日、カトウはプロ野球選手にはなっていない。

しかし、ATHLEADのスタッフになっている。
そして、今こうしてATHLEADのスタッフとして野球に携われていることを本当に幸せに思う。
そう、カトウは幸せだ。
料理は苦手だが、「幸せ丼」なら軽く10人前はつくれそうな勢いだ。

・・・ということで今回は「野球が出来ることが幸せ」と語り、どん底から這い上がったソフトバンクの捕手・細山田の名勝負を紹介しようじゃないか!!
※カトウは野球が好きだ、ベイスターズが好きだ、細山田が好きだ!!

カトウが以前読んだ記事やニュースと記憶とウィキペディアを頼りに、細山田の経歴からいくぞーー!

——————————

■細山田 武史(ほそやまだ たけし)

早稲田大学からドラフト4位で2009年に横浜ベイスターズ入り。1年目から1軍で88試合に出場し、2011年も84試合に出場。将来のハマの正捕手候補と注目されていたが、2012年以降盗塁阻止率の低さや黒羽根捕手、高城捕手の台頭があって1軍出場はなし。

プロ4年目の2013年にとうとう戦力外通告を受けた。

しかし野球への熱い情熱を持つ細山田はその年、12球団合同トライアウトに参加した。こうして細山田に再びチャンスの場を与えたのが福岡ソフトバンクホークス。

これまでプロ通算191試合出場の実績があった細山田。
しかし、しかしだ!提示されたのは1軍の試合には出場できない育成契約。2014年は主に3軍戦が彼の戦場となった。

そこから時は経ち、2015年。細山田の人生は大きく好転した。

「細山田は、もっている」と言ったら失礼だろうか!?

西武戦が行われた4月3日に細山田は育成契約から1軍の試合へ出場可能な支配下登録選手となった。

正捕手の細川が、宮崎キャンプで右手親指を骨折、期待の若手斐紹(アヤツグ)も、開幕直後に左膝内側側副靱帯損傷を負って離脱。
一軍の捕手層が薄くなったこともあって、念願の支配下契約を勝ち取り、即出場選手登録されたのだ。

こうして4月18日のロッテ戦では、4年ぶりに1軍入りを果たした。

その後、4月23日に一度、出場選手登録を抹消されたが、今度は捕手鶴岡慎也が右手親指を骨折。
これを受け細山田は5月24日に再び、出場選手登録された。

そして、この日の巨人戦だ。摂津投手の相棒を務めるはずの細川が首を痛めていたこともあり、工藤公康監督はじめ、首脳陣は細山田の起用を決断。

チームメートのアクシデントが何度も重なる中で、ベイスターズ時代の2011年10月21日の阪神戦(甲子園球場)以来となる先発マスクの座が巡ってきたのだ。
細山田にとって、実に4年ぶりの快挙である。

運命のいたずらか・・・。

もう一度、言ってもいいですか。

運命のいたずらか・・・。

・・・中々、言う機会が少ないこのフレーズ。
1度、言ってしまうと癖になるこのフレーズ。
言ってしまえば、なんとなくすごいことが起きたんだろうな、と想像させるこのフレーズ。

奇跡的なことだ。奇跡的なことが起きてしまった。
細山田がベイスターズ時代プロ初先発のマスクを被った試合。
2009年4月8日の巨人戦。この試合で先発マウンドに上がっていたのは、当時ベイスターズで投手を務めていた、現ソフトバンクホークス監督・工藤公康だったのだ。
相手も同じ巨人。当時のことを「覚えてない」という指揮官だが、「あの時と近いくらいの緊張感で細山田に決めたよ」と笑った。

こうしてこの試合で1軍での安打も、打点も4年ぶりとなった細山田。

育成時代のことをこう語る。
「苦しいと思ったことはありません。どこであれ、どんな環境であれ、野球が出来ることが幸せなので」
そう、彼は幸せなのだ。

幸せ丼なのだ!!

苦しいときもあれば、投げ出したいときもある。
しかし、続けていれば「やっていて良かった、あのときやめなくて良かった」と思う日が必ずやってくる。
そして、そんな感情を生み出してくれるのは、やはりスポーツなのだ。

やっていて良かった、スポーツ。
行ってみたいよ、スポッチャ。

よし、今日もスポーツを楽しもう!